1/26/2009

退耕庵


冬の特別公開第3弾は東福寺の塔頭、退耕庵です。小野小町ゆかりのお寺だそうです。入ってすぐ左に大きな地蔵堂があり、その中に小野小町作といわれている、びっくりする大きさ(3m)の玉章地蔵尊が安置されていました。本当かどうかわかりませんが、小野小町宛てのたくさんの恋文を張って作ったそうです(随心院にも同じようなものがあるそうです)。石田三成が関ヶ原の戦いの謀議を行ったお茶室などがある静かな小さなお寺ですが、必見は小野小町百才の像でしょう。これも小町本人が作ったとされるもので、”花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に”の歌で有名な美女小町の、自分もいつかは老婆になるという無常観が感じられる、すごい姿です。そういえば、晩年流浪の旅の末に”吾死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ”と壮絶な歌を残して悲しい最期を遂げ、野ざらしになっていた小町を弔ったとされる補陀洛寺にある、骨と皮ばかりの体、落ち窪んだ目に皺だらけの顔の小町老衰像も写真で見た事がありますが、すごいですよね。美しい人ほど、老いて醜くなることに恐れを感じるのでしょうか。結局この時代には珍しく百才近くまで(92才とか不詳とかの説あり)生きたそうですから、悲しいことです。  

パンフレットの写真より

2 件のコメント:

ヨコ さんのコメント...

遺骸を打ち捨てよ、と云うのは、嵯峨天皇の皇后、壇林皇后にも同じ話があります。(清凉寺に宝塔がありますよね。) とても美しい皇后だったようですが、我が遺骸は打ち捨てよと遺言し、その朽ち果てていく様子を描かせた「九相図」というものもあります。 と、ここで確認のため「九相図」を調べてみましたが、壇林皇后(または小野小町等)とありました。いろいろ説があるのかもしれませんね。 佐江衆一さんの本には
『わが屍は野に捨てよ 一遍遊行』というのがあります。遠い昔にはそんなすさまじいことを考えたヒトがいるんですね。

はりねずみ さんのコメント...

本当に凄みがあります。よくはわからないけど、昔からあった風葬とか鳥葬なんかも同じ発想でしょうか?