原題はフランス語の "Intouchables”(触ることのできない、交わることのない)という題。つまり、大富豪とスラム街出身の黒人という住む世界も身分も違う二人が、被介護者と介護者という垣根を越えて、交流を深めていくという話です。どうして"最強" という題にしたのでしょうか?
今までも邦題の付け方には疑問を持っていました。「明日に向かって撃て」(原題は Butch Cassidy and the Sundance Kid)や「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde)、「愛と哀しみの果て」(Out of Afirica)、「スパイ大作戦」(Mission: Impossible)、「レミーのおいしいレストラン」(Ratatouille)などなど数え上げたらキリがありません。昔のようにカタカナや英語にあまりなじみがなかった時代ならともかく、今の時代はカタカナ英語が政治、経済、マスコミにあふれているではありませんか。原題だとわかりにくくて、日本の興行的にはお客を呼びにくいということもあるのでしょうが、あまり具体的な題をつけてしまうとストーリーの面白さが半減すると思うのですが。
2 件のコメント:
私もタイトル付けに時には怒りを持つ者です。その作品を愛して だから世の中に紹介!というプロセスがないからでしょうか。ひどい邦題をつけられてしまった映画は虐待を受けているような印象も受けます。
最近は星の旅人たちとかぞくのくにを観ました。
タイトルによって、見るかどうか
決めるってことだってありますよね。
作った人の思い入れ(タイトルにこめた)を
尊重してほしいです。
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