京北の道の駅によったら、朝採りの新鮮な山菜を売っていたので、思わず”おいしそ〜う!”って思って買ってしまいました。
タラの芽にはトゲトゲがたくさん
アブラメ(こしあぶら)は少し開き気味
こごみはちょっとグロテスク
さっそく天ぷらにしました。おいしかったです!
4/30/2011
4/29/2011
常照皇寺へ4
渡り廊下をわたり開山堂へ向かいます
暗いお堂に入ると、高い位置両側に、ずらりと並んだ羅漢像がライトアップされていてびっくりしました。さらに驚いたのはここが撮影可ということです。
そしてここにも弥勒菩薩像が高い位置にいらっしゃいます。
両脇は普賢菩薩と文殊菩薩です(だとすると中央は釈迦如来かなぁ)
一番奥のご本尊は開山の光厳院像です
左側には平安時代のヒノキ造り、阿弥陀三尊来迎像(重要文化財)があります。
両脇の観音菩薩と勢至菩薩は、往生しようとする人を極楽へ導くため、雲に乗ってむかえに行くお姿を表現していて、めずらしい大和座りをされています。とてもきれいなお姿です。
境内の裏山をめぐる道ができていて、樒(しきみ)の花がたくさん咲いていました。全部まわると1時間半もかかるとのことで、途中で引き返しました。
暗いお堂に入ると、高い位置両側に、ずらりと並んだ羅漢像がライトアップされていてびっくりしました。さらに驚いたのはここが撮影可ということです。
そしてここにも弥勒菩薩像が高い位置にいらっしゃいます。
両脇は普賢菩薩と文殊菩薩です(だとすると中央は釈迦如来かなぁ)
一番奥のご本尊は開山の光厳院像です
左側には平安時代のヒノキ造り、阿弥陀三尊来迎像(重要文化財)があります。
両脇の観音菩薩と勢至菩薩は、往生しようとする人を極楽へ導くため、雲に乗ってむかえに行くお姿を表現していて、めずらしい大和座りをされています。とてもきれいなお姿です。
境内の裏山をめぐる道ができていて、樒(しきみ)の花がたくさん咲いていました。全部まわると1時間半もかかるとのことで、途中で引き返しました。
4/28/2011
常照皇寺へ3
さて、いよいよ方丈へ。とても広々としています。三方から外が見渡せます。ふすま絵は大変モダンです。
そして、な、なんと、釈迦如来が鴨居の上に神棚のように祀られています。
一説には、外の景色を遮らないようにとのことですが、真偽はわかりかねます。見上げてお線香をあげ、真下を行き来することになります。
こちらが北側のお庭、石がきれいに配置されています。
こちらが東側。天然記念物に指定されている”九重桜”です。残念ながら盛りは過ぎていましたが枝振りから見て、満開時はさぞ素晴らしいことでしょう。
そしてこちらは南側の”御車返しの桜”です。一重と八重の花が同じ木に咲いています。後水尾天皇がこの桜を御覧になって、あまりに美しいので、通り過ぎてまた、車を返して御覧になったことから”御車返し”と呼ばれるようになったそうです。
わかりにくいですが、左が一重、右が八重です。
そして、な、なんと、釈迦如来が鴨居の上に神棚のように祀られています。
一説には、外の景色を遮らないようにとのことですが、真偽はわかりかねます。見上げてお線香をあげ、真下を行き来することになります。
こちらが北側のお庭、石がきれいに配置されています。
こちらが東側。天然記念物に指定されている”九重桜”です。残念ながら盛りは過ぎていましたが枝振りから見て、満開時はさぞ素晴らしいことでしょう。
そしてこちらは南側の”御車返しの桜”です。一重と八重の花が同じ木に咲いています。後水尾天皇がこの桜を御覧になって、あまりに美しいので、通り過ぎてまた、車を返して御覧になったことから”御車返し”と呼ばれるようになったそうです。
わかりにくいですが、左が一重、右が八重です。
4/27/2011
4/26/2011
常照皇寺へ1
4/25/2011
再び美山へ3
4/24/2011
ミツバツツジの群生
4/23/2011
ゆずり葉
大阪の葛井寺(ふじいでら)に国宝の十一面千手観音坐像を拝観に行くついでに立ち寄った、辛国(からくに)神社。ここで目を引かれたのが、大きな木”ゆずり葉”です。
新芽がでていて、赤い花が咲いていました
家に帰って調べたら、”ゆずり葉”というのは、春に若葉が出ると前年の大きなりっぱな葉が、譲るようにして落ちるので、親が子を育て、やがて役目を終えていく様子、家が代々続くよう願う、ことから名前がついたそうです。
東日本大震災で親を亡くした子供達がたくさんいます。そしてその親達は、どんなにか無念の思いだったことでしょう。生き残った子供達はこれからずっと、トラウマに苦しめられることでしょう。原発の脅威はこれから何年も続くかもしれません。今の大人達が子供、孫達に残せるのは、不安ばかりのような気がします。それでもやっぱり、勇気を持って生きていってほしいと切に祈ります。
素敵な詩に出会いました。少し長い詩ですが、引用いたします。
『ゆずり葉』 河井酔茗(かわいすいめい)
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって。
子供たちよ、
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のまわるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりおまえたちがゆずり受けるのです、
読みきれないほどの書物も
みんなおまえたちの手に受け取るのです
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど-。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずっていくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時がくるでしょう。
新芽がでていて、赤い花が咲いていました
家に帰って調べたら、”ゆずり葉”というのは、春に若葉が出ると前年の大きなりっぱな葉が、譲るようにして落ちるので、親が子を育て、やがて役目を終えていく様子、家が代々続くよう願う、ことから名前がついたそうです。
東日本大震災で親を亡くした子供達がたくさんいます。そしてその親達は、どんなにか無念の思いだったことでしょう。生き残った子供達はこれからずっと、トラウマに苦しめられることでしょう。原発の脅威はこれから何年も続くかもしれません。今の大人達が子供、孫達に残せるのは、不安ばかりのような気がします。それでもやっぱり、勇気を持って生きていってほしいと切に祈ります。
素敵な詩に出会いました。少し長い詩ですが、引用いたします。
『ゆずり葉』 河井酔茗(かわいすいめい)
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって。
子供たちよ、
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のまわるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりおまえたちがゆずり受けるのです、
読みきれないほどの書物も
みんなおまえたちの手に受け取るのです
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど-。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずっていくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時がくるでしょう。
4/22/2011
桜の名所、平野神社
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