京都の街を歩きながら、仁丹のマークでおなじみの、町名表示板を見つけるのが趣味だったので楽しみにしていた企画でした。
案内をして下さるのはこのタスキをかけた京都仁丹樂會のメンバー
明治43年頃に仁丹が宣伝と住所案内を兼ねて設置始めたのが始まり。最初は木製だったのが、大正の末から昭和にかけて、耐久性のあるほうろう製にかわり現代にいたる。戦争や戦後の開発にともない、減少の一途をたどり、何千とあったものが、今では確認されるだけで700個あまりだそうです。この表示板は歴史的な資料としても重要なので、復活させようというプロジェクトが2年前に始まりました。
スタートはここから(京都市役所)
戦後初第1号となる琺瑯(ほうろう)の看板が、市役所の角に2011年2月10日に仁丹によって設置されました。看板の字の書き手も一般公募して決定したそうです。平成看板の特徴は区名(中京区)が左から書かれていること、上るの送り仮名がひらがなになったこと、仁丹のロゴが変化したことです。
仁丹のトレードマーク、カイザーひげおじさんの変遷
昔のおじさん(ビスマルク風?)はひげが長い、帽子や服が微妙に違う、目つきが優しくなった等、気づかなかったことや説明がおもしろかったです。
おじさんの顔が子供のいたずら(パチンコ)のせいで錆びてしまったもの
(本当は今は中京区なのに、上京区になっている)
同じ場所でも、 角の方向で表示が違ったり
これらは仁丹のマークが上についています(私が以前集めたもの)
仁丹マークは下についているのが半分以上、上にあるのは20%くらいでこちらの方が古いそうです。
同じ場所に違う看板、上は仁丹で上京区、東山線。下はフジダイマルで左京区、南門前町。昔この辺りに電車が通っていたことや、門前町だったことなどがわかる。
この他にも、昭和3年までは上京区と下京区しかなかったのが、昭和4年に中京区、左京区、東山区ができたため、表示板の数が極端に少ないそうです。
今回は仁丹さん中心のツアーだったのですが、他にも、ライオンズやローソンなど比較的新しい活字体表記の看板もあるので、またいつかブログで特集したいと思っています。
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