7/18/2015

若冲

昨日の祇園祭前祭りの巡行は悪天候の中、無事に終わりました。疫病神を追いはらう儀式なので、延期はできないそうです。すごいです、文化財を守る意識の強い京都人の根性は(小雨決行、大雨強行)。今年はこの時期京都にいたにもかかわらず、ひよってテレビ観戦しました。

残念ながら直木賞取れませんでした・・・


どこまでが事実なのかはわかりませんが、若冲の作品が生まれた経緯や、同時代の画家たち(池大雅、円山応挙、与謝蕪村など)の様子などがミステリアスに描かれていて引き込まれる本でした。

MIHO MUSEUMで「生誕300年、同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展をやっていたので、見てきました。


琳派の尾形光琳が亡くなったその年(1716年)に若冲と蕪村は生まれました。若冲は京都錦市場の青物問屋の息子で、家業を継ぎながら自己流で絵の勉強をし、40才のころから隠居して本格的に絵を描き始めます。一方蕪村は大阪の農家に生まれ、俳諧の世界に身をおきながら各地を転々とし、40才頃から京都に落ち着き絵と俳句の道に進みます。一時期は近所にお互い住んでいたのですが交流はなかったようです(本では蕪村は水のみ百姓の出で苦労し、若冲に娘を助けられるという話になっていますが)。


蕪村の「鴉図」と「鳶図」(絵葉書より)

数年前にMIHO美術館でみた若冲展では、発見されたばかりの「象と鯨図屏風」や、プライス所有のモザイク風の「鳥獣花木図屏風」が注目の的でしたが、今回は澤田瞳子さんの本を読んで知った、初めてみる「野菜涅槃図」が一番気になりました。


若冲の「野菜涅槃図」(絵葉書より)

本の中ではこの絵は、嫌っていた実母がなくなった時に描いたもので、真ん中に釈迦の代わりに横たわる二股大根は母、周りのカブは子供達、トウモロコシは沙羅双樹。そして周りを囲む野菜たちは66種類に及ぶそうです。生業が青物問屋とはいえ、なんと奇想天外な発想でしょう! 

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