説明によると、歌舞音曲を供して遊宴する街を「花街」、そこの芸妓が「太夫」。 歓楽のみの場は「遊郭」で、そこの娼妓が「花魁」だそうです。ここ島原は「花街」、江戸の吉原は「遊郭」という区別があるそうです。島原には東西に2つの門があり、誰もが出入りできる開放的な地域だったのに対して、吉原には門が1つで出入りが制限されていたとのこと。
そして「置屋」は太夫や芸妓を抱えて教育し、揚屋へ派遣する業種。「揚屋」は遊宴の場として大座敷と大厨房を備えた、料亭の機能。ここ角屋は揚屋なので、広い台所があり、大釜がたくさん並んでいます。
あじろの間
主庭をのぞむ松の間
島原は公家や武士、有力町衆など身分の高い人達が利用し、茶の湯や俳句和歌の会なども開かれた文化的サロンで、有名人の壁画やふすま絵が多く残っています。二階はそれぞれ趣向をこらしたお座敷が11部屋もあり、天井、欄間、壁、格子などが全部違っていて素晴らしかったです(写真は禁止)。新撰組の芹沢鴨が暗殺される前に泥酔状態にされた部屋とか、刃傷の跡なども残っていました。
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