8/28/2010
8/27/2010
残暑お見舞い申し上げます
連日猛暑が続いていますが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
ここ数日来、あんなに朝からうるさかったセミの声のシャワーが全くなくなりました。クマゼミのピークは大暑から立秋にかけての最も暑い頃とされているので、もう寿命がつきたのでしょうか。もうとっくに立秋は過ぎましたからね。セミのほうが自然体で、気象の方が、異常なのかもしれませんね。
炎天下の宇治の平等院です
これは平等院蓮です
平成11年(1999)に行われた阿字池の発掘調査で、江戸時代後期(約200年前)の地層から蓮の種が見つかり、宇治市植物公園の協力のもと、平成13年(2001)に開花。以降、毎年可憐な花を咲かせているそうです。平等院蓮は、純白の大輪です。
真夏の花、サルスベリと鳳凰
ここ数日来、あんなに朝からうるさかったセミの声のシャワーが全くなくなりました。クマゼミのピークは大暑から立秋にかけての最も暑い頃とされているので、もう寿命がつきたのでしょうか。もうとっくに立秋は過ぎましたからね。セミのほうが自然体で、気象の方が、異常なのかもしれませんね。
炎天下の宇治の平等院です
これは平等院蓮です
平成11年(1999)に行われた阿字池の発掘調査で、江戸時代後期(約200年前)の地層から蓮の種が見つかり、宇治市植物公園の協力のもと、平成13年(2001)に開花。以降、毎年可憐な花を咲かせているそうです。平等院蓮は、純白の大輪です。
真夏の花、サルスベリと鳳凰
8/26/2010
高野山16(陀羅尼助)
これは弘法大師が高野山を開いた当時からその製法が伝えられ、特に高野山の陀羅尼助の特徴である黄柏(オオバク)と龍胆と青木葉の配合が言い伝えられた胃腸薬です。もとはお坊さんが陀羅尼(だらに)を唱えているとき、睡魔を防ぐために口に含んだ苦味薬でしたが、今では陀羅尼の法力にあやかって霊験あらたかなお薬と言うことで陀羅尼助と言われるそうです。
店先に原料が置かれていました
また、1300年前に修験道の開祖である役行者によって、大峯山で創製されたのがはじまりだという説もあります。陀羅尼経とは、重病を治す薬のような功徳があるといわれ、「助」は、病気を治療して人々を助けるの「助」だという説もあるそうです。陀羅尼助は他にも、比叡山、吉野山、当麻寺、木曽路などでも作られ、売られています。正露丸と成分は似ていて、黒くて少し苦みがあります。けっこう効くそうですよ。
やっとこれで高野山は終わりです。長い間のおつきあいありがとうございました。
8/25/2010
高野山15(町石)
山麓の慈尊院(女人高野)から高野山奥の院へ続く約22キロの表参道を町石道(ちょういしみち)といいます。ここには人々が道に迷わないようにと一町(約108m)ごとに木製の卒塔婆が立てられました。現在は木製ではなく、石造りになっています。慈尊院から伽藍(大塔)まで180基、伽藍から奥の院までは36基あるそうです。高さ約3メートル、30センチ角の御影石で、梵字と町数が彫られています。高野詣の人々はこれを菩薩に見立て、一町ごとに合掌しながら歩いたそうです。
大門前、6町石(慈尊院側)
御社付近、3町石(慈尊院側)
ここが伽藍より、1町石(慈尊院側)柵の内側で見えにくい
如意輪寺前、5町石(奥の院側)
泊まった高室院、8町石(奥の院側)
9町石(奥の院側)
奥の院の中、32町石
大門前、6町石(慈尊院側)
御社付近、3町石(慈尊院側)
ここが伽藍より、1町石(慈尊院側)柵の内側で見えにくい
如意輪寺前、5町石(奥の院側)
泊まった高室院、8町石(奥の院側)
9町石(奥の院側)
奥の院の中、32町石
8/24/2010
高野山14(宿坊)
8/23/2010
高野山13(大門)
8/22/2010
8/21/2010
高野山11(壇上伽藍)
壇上伽藍にはその他にもいくつもの建物があります。
弘法大師空海が住んでいたと言われる御影堂と三鈷の松です。唐から戻って密教を広める根本道場を造ろうと思い、場所をさがしていた空海が、唐の浜から空に向けて三鈷杵を投げると、それが高野山の松の枝にひっかかり、そこに伽藍を建立したと伝わる三鈷の松(松の葉が三本に分かれている)は代替わりして大切に守られています。
これは六角経蔵、よくお寺で見かけます。お経が納められているお堂で、下にある取っ手を持って一回転させると、お経を読んだことになるというものです。ここのはとても重くて、大勢の人が一緒に力をあわせないと廻りません。
藤原時代に建てられた山王院、木立の中にひっそりとたたずんでいます
大塔の鐘、 日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになったそうです。
准胝堂前
他の塔に比べて地味な色あいの西塔
朱塗りの橋がきれいな蓮池
弘法大師空海が住んでいたと言われる御影堂と三鈷の松です。唐から戻って密教を広める根本道場を造ろうと思い、場所をさがしていた空海が、唐の浜から空に向けて三鈷杵を投げると、それが高野山の松の枝にひっかかり、そこに伽藍を建立したと伝わる三鈷の松(松の葉が三本に分かれている)は代替わりして大切に守られています。
これは六角経蔵、よくお寺で見かけます。お経が納められているお堂で、下にある取っ手を持って一回転させると、お経を読んだことになるというものです。ここのはとても重くて、大勢の人が一緒に力をあわせないと廻りません。
藤原時代に建てられた山王院、木立の中にひっそりとたたずんでいます
大塔の鐘、 日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになったそうです。
准胝堂前
他の塔に比べて地味な色あいの西塔
朱塗りの橋がきれいな蓮池
8/20/2010
高野山10(金堂)
8/19/2010
高野山9(根本大塔)
8/18/2010
高野山8(壇上伽藍)
8/17/2010
高野山7(高室院)
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