荒れ果てていたお寺を再建したのは、幕末の頃、尊王攘夷派の公家近衛家に仕えていた村岡局で、勤王の志士達と公卿との連絡に当たり、特に近衛卿や西郷隆盛らの運動を助け活躍したことから、安政5年(1858)の安政の大獄が起こると、村岡局も捕らえられて江戸に送られました。 その後、許されて北嵯峨の直指庵に隠居し付近の子女の教育に尽くしたそうです。今では悩む女性の駆け込み寺としても知られていて、想い出草ノートが5000冊以上保存されています。
落ち葉が敷き詰められて・・・
つくばいに映る空が美しい
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