出雲大社に関しての三つ目の知らなかったことです
文献によると当時(平安時代)の出雲大社神殿は、今の本殿(高さ24m)の2倍、48mもあったそうで、それは15階のビルに匹敵する高さというから驚きです。どうやって何のためにそんな高いお社を建てたのでしょう? 真偽のほどはいろいろ議論があったようですが、
地下の発掘をしていて、2000年になってその心柱(赤い円がその場所)や大きな大量の石などが発見されました。
3本の巨木を一つに束ねて1本の心柱にして(直径3m)それを9本立ててその上に神殿を建てたという文献が立証されたそうです。
当時の大建造物のおぼえ歌があり、「大屋を誦して謂う。雲太、和二、京三」と書かれているそうです。雲太とは出雲大社のことで、これが一番高く、二番目が東大寺の大仏殿、三番めが京都の大極殿(今の平安神宮)。平安期の大仏殿が45mあったそうですから、出雲大社はそれよりも高い(48m) ということがわかります。
この高さを維持するためにはこの模型のように長〜い階段が必要になります。そこで考えられたのが109mにもおよぶ階段です。どうしてこんな不安定な形の神殿を作ったのでしょうか? 平安中期から鎌倉時代初めまでの200年間に7度も倒れているというのは当然のような気がします。(写真は古代出雲歴史博物館で撮ったものです)何にしても興味深い話で、神話の世界と共に、空中神殿がそびえたつ空想が膨らみました。
1 件のコメント:
クレーン車もなかった時代に、よくこんなに巨大な柱や建物を人力だけで作ったものですね。古代の日本人の力に感心しました。
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