5/31/2010

長町武家屋敷跡

江戸時代に加賀藩の中級武士が住んでいた屋敷跡で、今でも土塀、石畳が残されています。町並みを大事に保存しながら、普通に人々が暮らしてるところが素敵です。

        電線、電柱がないですねぇ。


犀川から水を引いて、当時は防衛や防火、消雪、排水、木材の運搬など城下町の生活において重要な役割を果たしていた大野庄用水。今も用水沿いの家は橋を渡って中に入ります。りっぱな門構えが多くみられ、気持ちの良い散歩道になっています。見知らぬ人でも自然に挨拶をかわし、金沢の人々は穏やかで暖かい気がします。

5/30/2010

金沢城公園

金沢といえば、前田家加賀百万石。今でも前田一族は綿々と受け継がれ、金沢市民の尊敬の対象で、”お殿さま”と呼ばれているそうです。その前田家の居城であった金沢城。天守閣は火事で焼失した後、再建されていません。

天守閣のように見えるのは”菱櫓”(二つの門を同時に見張れるようにわざわざ菱形に造った3階建ての堅固な造り)。ここには敵に石を落としたり、鉄砲用の窓などの工夫があります。

平成13年に復元された”五十間長屋”(石垣の上に建てられた長屋造の櫓で武器などの貯蔵庫)。両端に菱櫓と橋爪門続櫓がついています。

こちらは”三十間長屋” 江戸時代のものが残っていて、重要文化財。平瓦を貼った目地を白塗漆喰で固めた海鼠壁(なまこかべ)は、他のお城ではあまり見られない、特徴だそうです。

もっと面白いのが石川門(重文)の石垣です。右と左の石の積み方が違います。右の、きれいに石を切って積まれた方を、”切りこみハギ”といい、左の、石の形にあわせて積まれた方を、”打ちこみハギ”といいますが、両方ともちゃんとした技法です。1756年に改修した当時も「左右違う積み方はおかしい」という議論があったそうです。

          今年、130年ぶりに再現された河北門


           石垣がとてもきれいです。

5/29/2010

ことじ灯籠

金沢と言えば、兼六園。岡山の後楽園と水戸の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられています。そして兼六園といえば、この”ことじ灯籠”が有名ですよね。足が二股になっていて、 ちょうど琴の糸をささえる琴柱に似ているので、その名前がついたそうです。
青もみじのしっとりとしたお庭を味わうには、雨がぴったり(少し負け惜しみ?)です。




5/28/2010

そうだ、金沢行こう!

”そうだ〜!” シリーズ、悪のりついでに金沢までやってきてしまいました。残念ながら、トップにのせるキャラがまだありません(-_-;)

この超モダンな金沢駅。京都駅よりも先を行ってますねぇー。
駅前の茶色の大きな門、何に見えます? 私はお寺の山門かなと思ったのですが、いえいえ違いました。これは伝統芸能と高度な職人の街、金沢を象徴する”つづみ門”なんです。鼓の調緒(しらべお)、ひもの部分を表しているのです。屋根の部分は和風建築をデザインしてあるそうです。

どうしてこんなにりっぱな駅にしたかというと、4年後に金沢に北陸新幹線が開通するのを見越して造られたんです。今は東京から金沢まで、上越新幹線(越後湯沢まで)を使っても4時間くらいかかるのが、2時間半に短縮されるのですから、それは便利になって、人がどっと押し寄せることでしょう。
この後、金沢の名所をまわって感じたのですが、金沢という街はいつでも百年後の事を考えて、古いものと新しいものを上手に保存しているのです。

5/27/2010

青もみじ7 神護寺

西明寺裏門から清滝川に沿って山の中を歩いていくこと15分くらいで、神護寺に着きます。紅葉の時の混雑ぶりが信じられないほど、静かです。

楼門にたどり着くには、まず川まで下って、細い道を上って、それから更に長い階段を上がります。けっこうこれがキツイです(10年後は無理かも)。


境内は広々としていて、金堂をはじめとしてたくさんのお堂があります。今回の目的は、春は5月の3日間だけ特別公開される、多宝塔の五大虚空菩薩像(国宝)を見ることです。やっとこの機会にめぐりあうことができました。

乾漆で五色(右から緑、赤、白、黒、黄)に彩色され、像高90センチメートルあまり。ほぼ同形の坐像ですが、それぞれ手の形や持物が違います。以前写真家の永坂嘉光さんが撮った写真に魅せられて以来、ずーと憧れてた菩薩像達に会えてとてもうれしかったです。

下に見えるのは錦雲渓、清滝川沿いを60分くらい歩くと奥嵯峨野にでることができます。

5/26/2010

青もみじ6 高山寺

新緑の美しい5月、高雄の三尾(高尾、槇尾、栂尾)めぐりをしました。先ずは一番奥の栂の尾、高山寺から。荒廃していたお寺を明恵上人が後鳥羽上皇の院宣により復興したと伝えられています。山深い静かな所にあります。

          しーんと静まりかえった森

         石水院を下からながめる

石水院は明恵上人の学問所で国宝。客殿にはあの有名な善財童子さんが。


高山寺から歩いて10分くらいで、槙の尾、西明寺に着きます。誰もいない境内。やっとのことで奥様らしき人を見つけ、お厨子の中のご本尊の扉を開けてもらい、阿弥陀如来を見せていただくことができました。清凉寺式のめずらしいお姿をまた拝見できてちょっと感激。


     

5/25/2010

竹生島2


観音堂入り口の唐門(国宝)は初代大阪城の遺構で、秀吉の命で、秀頼が京都東山の豊国廟から移築したものです。桃山時代を象徴する凝った造りになっています。この奥に秘仏十一面観音が安置されています。とてもやさしいお顔でした。

観音堂から竹生島神社(都久夫須麻神社)に続く渡り廊下を船廊下といいます。朝鮮出兵時に豊臣秀吉が乗った御座船「日本丸」の部材を転用して建てられたそうです。山の斜面に建っていて、清水のような舞台造りとなっています。


      この神社も伏見城の遺構といわれ、国宝です。

神社の配所の突端から琵琶湖に向かって、かわらけ投げをする場所があります。

5/24/2010

そうだ、滋賀行こう!(竹生島)

             彦にゃん

という訳で、奈良から今度は滋賀県へと向かいました。目指すは神の住む島とあがめられる竹生島。宝厳寺は724年に聖武天皇の勅願で、行基が開いたと言われ、西国三十三所の第30番目の札所となっています。ご本尊は千手千眼観世音菩薩で5月のみ特別ご開帳です。


今回は今津港から船に乗り、竹生島めぐりの後は長浜へ渡ることにしました。船が島の裏側に近づくとおびただしい数の鳥達の異様な姿にちょっとびっくり。国内最大規模のカワウの集団繁殖地となり、樹木はふんにまみれて枯死状態とのこと。原生林におおわれたこの美しい島にも危機が迫っているようです。

次のご開帳は27年後となります。こんなに階段の多い島に来るのは、とうてい無理でしょうから、この機会を逃すわけにはいきません!

本堂まで行くのにも165段のかなり急な階段を上らなければなりません。ご本尊は行基が彫ったといわれる弁才天像で、秘仏になっていて、こちらも開扉は60年に一度ということです。

5/23/2010

当麻寺(奈良)2


当麻寺の奥に塔頭の西南院があります。ここは関西の花の寺にも指定されています。手前の白い花はナンジャモンジャの木です。


山の起伏を利用した池泉回遊式庭園になっていて、新緑がきれいでした。

ここからは東塔(天平時代建立)、西塔(平安時代建立)の優美な姿を眺めることができます。二つの塔が創建時の姿で残っているのはこのお寺だけだそうです。

     いろいろな色のシャクナゲが咲いていました。


     名物”中将もち” よもぎの香りがしました。

5/22/2010

当麻寺(奈良)1

鍾馗さんが多い趣のある参道を10分ほど歩いて行くと、突き当たりに当麻寺があります。国宝の東塔、西塔が見えてきます。


当麻寺(たいまでら)は、二上山(にじょうざん・古くはふたがみやま)の東麓の奈良県北葛城郡当麻町にあります。真言宗、浄土宗の二宗で管理されるというめずらしいお寺です。ご本尊は「当麻曼荼羅」で、「中将姫」が蓮糸で織ったと伝えられています。

金堂には日本最古の塑像、弥勒菩薩(国宝)と、日本最古の乾漆、四天王が安置されています。またその左にあるのが日本最古の梵鐘(国宝)で両脇遠くに見えるのが、国宝の三重塔、東塔、西塔です。


中之坊にある大和三名園の一つ”香藕園(こうぐうえん)”、東塔を借景とした、緑の美しい庭園です。

写経道場の絵天井には前田青邨はじめ、上村淳之、片岡鶴太郎など多くの画家によって寄進された150枚もの名画が飾られています。

5/21/2010

鍾馗(しょうき)さん

京都や奈良の町家の屋根の上にチョコンと乗せられている、瓦製の鍾馗さん。この鍾馗さんは、古代中国・唐の玄宗皇帝の夢に出てきて、鬼を退治し、皇帝の病気を治したという言い伝えがあり、今では魔除けのために、家を守るために屋根に飾られているようです。


もともとの鍾馗さんは刀を持ったひげもじゃの大男(端午の節句に飾られる)ですが、最近見られるのは、七福神だったり、動物だったりといろいろですね。奈良の当麻寺に向かう参道に建つ家は瓦葺き、黒漆喰、厨子(つし)二階など、趣のある家並みで、おもしろい鍾馗さんが多くみられました。