6/13/2014

大将軍八神社の神像群

仏像はお寺に行くと拝観できます。が、神社では神像を拝むことはありません。というよりは神像の存在すらあまり知りませんでした。
神像に興味を持ったのは、4月に大阪市立美術館で「山の神仏」展を見てからです。仏像は男性と言われますが、神像は男神と女神がいて、とても美しいお姿でした。

日本ではそもそも神というのは恐れ多いもので、姿形を表すことはタブーと考えられていました。山や巨岩、滝などの自然物をご神体として崇拝していましたが、仏教の影響や神仏融合から神像がだんだん彫られるようになったようです。ただし、仏像が信仰の対象として人々に拝まれていたのに対して、神像は本殿の奥に秘蔵されいたようです。


平安京を造る際、大内裏(御所)の北西角の天門(鬼門)に、星を司る神 「大将軍堂」を建てて、方位の厄災を解除する社として創建されたというのが、この大将軍八神社です。ここには80体の神像が収蔵庫に保管されていて、事前に予約をすると見せていただけます(5月と11月に公開日あり)。


本堂の正面には星の石柱(陰陽道)があります


方徳殿(収蔵庫)の1階に入ると、静かな空間にずらりと並ぶ神像群が目に飛び込んできて圧倒されます。こんなに一同に見つめられるとぞーとします。

写真はweb 「京都で遊ぼうART」より

「日本の神像」より

怒りの表情で鎧を身に着けた武装像が50体、平安貴族風の衣冠束帯像が29体、そして子供の姿をした童子像が1体があります(立体星曼荼羅)。すべて表情も形も違っていて一つ一つ見ていくと興味深いです。仏像と同じようなもの、僧や貴族の姿のような高貴なもの、地蔵菩薩のような穏やかなもの、星占い師?など・・・こうなると神像は何なのか?という疑問が湧いてきます。

 衣冠束帯像 絵はがきより

正面に一段高い場所に鎮座している武装半跏像
(北極星を表すらしい・・・)絵はがきより

水干姿の唯一の童子像 (絵はがきより)

2階には古天文学の資料や陰陽道の安倍家(安倍晴明)に伝わる天文学や数学の資料、暦など、貴重なものがたくさんあり、その道に興味がある人にとってはたまらないだろうなぁと思われます。

江戸時代に作られた天球儀(絵はがきより)

本屋大賞を受賞した沖方汀さんのベストセラー小説『天地明察』の主人公としても知られている天文学者、渋川春海(しぶかわ・しゅんかい)が作ったものです。


北野天満宮の南、妖怪ストリートとして有名な一条通・大将軍商店街を東へ行った所にあるこじんまりとした神社。こんな所にこんなにすごいお宝があったとは、京都はあなどれません。

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